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写真(Photos)ページの更新(2022年10月~12月予定)

久しぶりの更新ですが、写真について追加をはじめています。新しく加えた写真について随時紹介していきます。区分などまだきちんとしていませんが、少しずつ整えていければと思います。

なお、見出しについて、地域名でわけるか、史蹟でわけるか、少し方針が揺らいでいます。写真が移動したり、キャプション等も適時変更を加えている点、ご留意下さい。(2022年12月7日追記)





12月5日

ダヴィト・ラヴラ修道院(ダヴィトガレジャ)「6世紀にジョージアに到来した伝説のアッシリア教父の一人であるダヴィト・ガレジェリ創建の古刹。ダヴィトガレジャ(ダヴィド・ガレジ)修道院複合体の中核施設。中世には異民族侵入による大きな被害も受けたが、そのたびに立ち直った。」


ダヴィト・ガレジャのフレスコ画「修道士たちが住んでいた洞窟内は美しいフレスコ画で全面が彩られている。しかし、ソ連時代は軍の演習場が隣接し、大きく損傷した。ソ連末期には文化遺産を守ろうとする動きが民族運動にも転じた。」

 

ダヴィト・ガレジャの装飾「洋の東西を結ぶジョージらしい装飾も多い。ジョージア王や有力貴族は老年に至るとこの修道院に隠棲することが多く、ジョージア史を通じて常に重要な場所である。」


11月21日

ヴァニ考古学博物館「ヴァニ考古学博物館。西ジョージアにおける考古学研究の拠点の一つ。大規模な遺跡が発見されている。2000年頃撮影。以下は国立博物館の関連ページ。httpsmuseum.geindex.phplang_id=ENG&sec_id=48」


ヴァニ・農村の風景「ヴァニでの一コマ。のどかな農村風景の中で。2000年8月撮影。」


茶畑「ジョージアの西部グリアは湿潤でお茶の栽培も盛ん。2000年1月撮影。」


11月8日

ベタニア「ジョージア最盛期12-13世紀を代表する名建築として知られる。タマル女王のフレスコ画も有名。もっとも、19世紀後半、当時の著名な貴族で作家のグリゴル・オルベリアニが狩りの途中で偶然発見するまでうち捨てられていたという。」


ツグルガシェニ「1212-1222年の建築と考えられる。盛期の代表的建築の一つで、ベタニアに較べるとより小型ながら高い頂塔が特徴的である。ギオルギ王と建築家としてハサン・アルセニスゼの名が残る。ギオルギ王はタマル女王の息子ギオルギ・ラシャに比定されている。」


ニコルツミンダ「風光明媚な西部山岳地域ラチャ地方を代表する名建築。特に外壁の装飾の華麗さや内部のフレスコの豪華さでよく知られている。1010-1014年、統一王国を築いたバグラト3世の時代の建立。16世紀前半の改修を例外として原形をほぼそのまま保っている点でも貴重。」




10月28日

グラクリアニ丘陵「首都トビリシと西部ジョージアを結ぶ高速道路にほど近い同丘陵から2015年に発見された謎の「アルファベット」。発見者のトビリシ大学教授ヴァフタング・リチェリ博士によれば紀元前7世紀のものだという。ジョージアは考古学遺跡の宝庫である。」


マングリシ・シオニ聖堂「ジョージアがキリスト教に改宗した4世紀前半に溯る由緒ある教会。現在の建物は5世紀に建てられ、11世期の大規模な改修により現在の姿になった。府主教座が置かれるなど格式も高い。」


スラミ砦「東西および南部ジョージアを結ぶ国内でもっとも重要な要衝スラミに置かれた要塞。19世紀に早世した作家ダニエル・チョンカゼが記した砦の建設譚は、20世紀後半にトビリシが生んだアルメニア系の鬼才パラジャーノフ監督によって映画化された。」




10月16日

ボドゥベ修道院「ジョージアをキリスト教改宗に導いた聖ニノの眠るカヘティ地方ボドゥベ修道院 カッパドキアからムツヘタ、そしてジョージア東端のシグナギまで彼女の伝道の旅路は続いた」


アレクサンドレ・チャフチャヴァゼ宮殿「ソ連時代から白ワインでも有名なカヘティ地方ツィナンダリのアレクサンドレ・チャフチャヴァゼ宮殿 古いワインセラーなども残されている(2007年6月撮影)」


エレクレ二世「中世ジョージア王国事実上最後の英主エレクレ二世(1720ー1798)「小柄なカヘティ人(パタラ・カヒ)」の愛称でも知られたが、戦場では負け知らずの勇猛果敢な王であった。」








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