ジョージア/グルジア
トビリシ〈ジョージア〉
市街地
新生独立ジョージア/グルジアの象徴。2014年撮影。
かつて住んでいたトビリシ旧市街。19世紀の建物が独特の風情を醸し出している。アイヴァニと呼ばれるペルシア風バルコニーがアクセント。
アバノ(中東風温浴施設)もトビリシでは本物の温泉に浸かることが出来る。東西文明を結ぶトビリシらしい場所。
留学中に住んでいたタビゼ通り。自由(旧レーニン)広場の旧市庁舎の横の通り。内戦直後で当時は停電続き。ほとんど通りに灯りはなし。現在はきらびやかなカフェ/レストラン街に変身。隔世の感。
19世紀に建設された建物。撮影は2000年、すなわち21世紀最後の新年。クリスマスはかつての暦で1月7日に祝うので、ジョージアでは常にねじれ現象(新年→クリスマス)となる。
郊外
ジョージア最盛期12-13世紀を代表する名建築として知られる。タマル女王のフレスコ画も有名。もっとも、19世紀後半、当時の著名な貴族で作家のグリゴル・オルベリアニが狩りの途中で偶然発見するまでうち捨てられていたという。
カルトリ〈ジョージア〉
アテニ、サムタビシ、
ゴリ近郊、7世紀初期、1999年4月撮影。
カスピ近郊、11世紀。
カスピ地方、14世紀、グルジアの有力豪族アミラホリ一族の城砦
ボルニシ、エルタツミンダ、他
1212-1222年の建築と考えられる。中世盛期の代表的建築の一つで、ベタニアに較べるとより小型ながら高い頂塔が特徴的である。ギオルギ王と建築家としてハサン・アルセニスゼの名が残る。ギオルギ王はタマル女王の息子ギオルギ・ラシャに比定されている。
ツグルガシェニの遠景。1999年頃撮影。
Kartli Bolnisis Sioni
ウプリスツィヘ、ビルトヴィシ、スラミ
カスピ
首都トビリシと西部ジョージアを結ぶ高速道路にほど近い同丘陵から2015年に発見された謎の「アルファベット」。発見者のトビリシ大学教授ヴァフタング・リチェリ博士によれば紀元前7世紀のものだという。ジョージアは考古学遺跡の宝庫である。
テトリツカロ
ジョージアがキリスト教に改宗した4世紀前半に溯る由緒ある教会。現在の建物は5世紀に建てられ、11世期の大規模な改修により現在の姿になった。府主教座が置かれるなど格式も高い。
ハシュリ
東西および南部ジョージアを結ぶ国内でもっとも重要な要衝スラミに置かれた要塞。19世紀に早世した作家ダニエル・チョンカゼが記した砦の建設譚は、20世紀後半にトビリシが生んだアルメニア系の鬼才パラジャーノフ監督によって映画化された。
写真館
ジョージア/グルジア人の
歴史探求
写真館について...
ジョージア/グルジア人は、故国のみに留まらず、汎ユーラシア的な活動を繰り広げてきました。モンゴル高原から中東各地、東ヨーロッパ、ロシアはもちろんのこと、西欧諸国からアメリカまでそのネットワークは広がりを見せてきました。彼らの歴史を追うことは、まさしく「世界史を追う」ことになります。
ジョージア/グルジア
イラン
トルコ
ギリシャ
アゼルバイジャン
その他世界各地
アルメニア
カヘティ〈ジョージア〉
シグナギ、アラヴェルディ、グレミ
ジョージアをキリスト教改宗に導いた聖ニノの眠るカヘティ地方ボドゥベ修道院 カッパドキアからムツヘタ、そしてジョージア東端のシグナギまで彼女の伝道の旅路は続いた
イカルトほか
テラヴィ
中世ジョージア王国事実上最後の英主エレクレ二世(1720ー1798)「小柄なカヘティ人(パタラ・カヒ)」の愛称でも知られたが、戦場では負け知らずの勇猛果敢な王であった。
ソ連時代から白ワインでも有名なカヘティ地方ツィナンダリのアレクサンドレ・チャフチャヴァゼ宮殿 古いワインセラーなども残されている(2007年6月撮影)
ダヴィトガレジャ(サガレジョ地区)
6世紀にジョージアに到来した伝説のアッシリア教父の一人であるダヴィト・ガレジェリ創建の古刹。ダヴィトガレジャ(ダヴィド・ガレジ)修道院複合体の中核施設。中世には異民族侵入による大きな被害も受けたが、そのたびに立ち直った。
修道士たちが住んでいた洞窟内は美しいフレスコ画で全面が彩られている。しかし、ソ連時代は軍の演習場が隣接し、大きく損傷した。ソ連末期には文化遺産を守ろうとする動きが民族運動にも転じた。
洋の東西を結ぶジョージらしい装飾も多い。ジョージア王や有力貴族は老年に至るとこの修道院に隠棲することが多く、ジョージア史を通じて常に重要な場所である。
東部山岳地域〈ジョージア〉
カズベギ、アナヌリ、プシャヴィ
トゥシェティ
イメレティ〈ジョージア〉
クタイシ、バグラティ大聖堂、ゲラティ修道院他
西部ジョージアの古都クタイシ。
バグラティ大聖堂
ヴァニ
ヴァニ考古学博物館。西ジョージアにおける考古学研究の拠点の一つ。大規模な遺跡が発見されている。2000年頃撮影。以下は国立博物館の関連ページ。httpsmuseum.geindex.phplang_id=ENG&sec_id=48
ヴァニでの一コマ。のどかな農村風景の中で。2000年8月撮影。
サメグレロ〈ジョージア〉
ホビ修道院
13-14世紀に建設された。
Khobi
グリア・アチャラ〈ジョージア〉
ギャラリー
ジョージアの西部グリアは湿潤でお茶の栽培も盛ん。2000年1月撮影。
スヴァネティ〈ジョージア〉
メスティア、ウシュグリ
メスティアで2000年8月に撮影。この子どもたちももう立派な大人に成長しているでしょう。『コーカサスを知るための60章』のカバーにも使いました。
ラチャ〈ジョージア〉
アンブロラウリ
風光明媚な西部山岳地域ラチャ地方を代表する名建築。特に外壁の装飾の華麗さや内部のフレスコの豪華さでよく知られている。1010-1014年、統一王国を築いたバグラト3世の時代の建立。16世紀前半の改修を例外として原形をほぼそのまま保っている点でも貴重。
サムツヘ・ジャヴァヘティ〈ジョージア〉
ヴァルジア、ボルジョミ
タマル女王など美しいフレスコ画でも知られるジョージア・グルジアのカッパドキアことヴァルジア。
食文化
ハチャプリ、煮込み・肉料理、チーズ・乳製品等
ジョージア人のソウルフード、ハチャプリは地域ごとのヴァリエーションに富む。これは西部イメレティ地方風。トビリシのレストランで2018年6月撮影。
ジョージア語でムツヴァディと呼ぶいわゆる串刺し肉、シャシュリクとしても知られる。2011年山岳部ドゥシェティ地方のチャルタリ村にて。
ジョージアを代表するスパイシーなスープのハルチョと西ジョージアでよく食べられるトウモロコシ粥のゴミ、これは2種のチーズ入り。トビリシのレストランで2018年6月撮影。
タマル女王など美しいフレスコ画でも知られるジョージア・グルジアのカッパドキアことヴァルジア。
イラン
ペレイダニ/フェレイドゥーン・シャフル
ペレイダニの風景
17世紀初頭、アッバース一世によって強制移住させられたジョージア/グルジア人の子孫は現在も当時のジョージア/グルジア語を話し続けている。民族意識や文化、言語の孤島としてもとても興味深い。2005年撮影。
小高い丘の上から街を見下ろす。1万を超えるジョージア/グルジア語話者が生活しているといわれる。2005年撮影。
街のレストラン。ペルシア語とジョージア語で記されている。店名は「バラ/花レストラン」2005年撮影。
ペレイダニの人びと
ペレイダニ・ジョージア人共同体の古老かつ顔役だった。愛郷心に溢れ、独立したジョージア最初の在イラン大使館はテヘランの彼の邸宅に置かれたという。テヘランから自らハンドルを握り、ペレイダニを案内してくれた。2005年撮影。
フーゼスターン
シューシュ
アレクサンドロス大王の合同結婚式の舞台としても名高い古都スーサ(現シューシュ)。歴史遺跡も数多い。17世紀後半、この地を治めていたヴァフシュティ・ハーンはジョージア/グルジア系であった。
テヘラン、他
準備中
フェレイダーン
準備中
トルコ
タオ・クラルジェティ
イシュハニ
ジョージア最大の教会群遺跡が残るタオ・クラルジェティ地方での最大の教会の一つ。7世紀に基礎が築かれ1032年バグラト4世の時代に現在の形となった。美しい円蓋のフレスコ画で有名。この写真は大規模な修復前の2012年9月のもの。
ハフリ
9世紀後半、タオを治めていたダヴィト三世クラパラティによる創建。造形の美しさが際立つ。2012年9月撮影。
バナ
イスタンブル、他
9-10世紀初頭アダルナセ二世によって主教座が置かれ、クヴィリケ・バネリが最初の主教に就任。崩壊した建造物と周囲の美しい自然のコントラストが印象的。2014年10月撮影。
ギリシャ
アトス
イヴィロン
東ジョージア/グルジアの古名イベリアにちなむ。10世紀後半にビザンツで活躍したジョージア軍人トルニケ・エリスタヴィとイオアネ・ムタツミンデリ(初代院長)によって創建。中世ジョージア文化の一大拠点となる。アトス内での序列は3位。
クトゥルムシウ
最古の記録は1169年に溯る。14世紀にはワラキア公国の後援を得ていた。アトスでの序列は6位。アトスの中心集落カルイェスに隣接。
カラカル、他
11世紀の創建。16世紀にモルダヴィア公国の後援で再建。ジョージア王権との結びつきも強い。福音書の発見については拙稿を参照。アトスでの序列は11位。
モンゴル
ウランバートル
首都の主要スポット
モンゴル国首都ウランバートルの玄関口チンギス・ハン国際空港、キリル表記にも注目
草原世界
草原の一日
空と雲と草原の織りなすコントラスト、延々と草地が拡がる
カラコルム、その他
エルデネ・ゾー
モンゴル帝国の古都に建てられたモンゴル最古の寺院